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2018.12.21

なぜ「調布村」は最高級住宅地「田園調布」になったのか?「田園調布」は1日にしてならず

(写真=PIXTA)
(写真=PIXTA)
東京都大田区田園調布……いうまでもなく、わが国を代表する高級住宅地ですが、もちろん、いきなりそうなったわけではありません。明治まではほとんど民家のない野原だった地域に、大正時代から開発が始まり、開発者の先見性、住む人たちの街づくりへの努力などが相まって現在の田園調布になりました。いきなり高級住宅地になったわけではなく、不断の努力が現在の田園調布を生み出したのです。

田園調布の中でも、特に豪邸が並ぶ三丁目、四丁目エリアにはなかなか物件は出てきませんし、出たとしても相当な資産家でなければ手が出せません。なぜ「調布村」が最高級住宅地「田園調布」になったかを解説します。

放射線状に整然と区画された街並み

Googleマップなどで検索すれば一目瞭然ですが、田園調布といっても東急東横線の東側と西側で異なる特徴があります。西側は、駅前ロータリーから放射線状に道路が延びていて、銀杏並木が続いています。1戸当たりの区画も200坪(約660平方メートル)以上の豪邸がほとんどで、道行く人もどこか上品かつ、行き交うクルマもメルセデスやBMW、レクサスなどの高級車が多い傾向です。これが、「田園調布」と聞いて、多くの人が思い描く田園調布でしょう。

それに対して、東側は比較的庶民的な感覚の商店街が続いています。住所でいうと田園調布一丁目、二丁目となり、高級住宅もありますが、西側の三丁目、四丁目に比べると1戸当たりの面積は小さくなります。
バブル期には「田園調布で物件が出たらしいぞ」という情報に対して、「三丁目、四丁目なら言い値で買う」といわれた逸話もあるそうです。

当初から独自の建築協定によって乱開発を抑制

なぜ駅の西側と東側で異なる特徴があるのでしょう。それは、駅の西側こそ田園調布の街づくりの基礎となったからです。明治時代の経済界の大立者・渋沢栄一が「ロンドン郊外の田園都市のような理想的な住宅地」を開発するために設立した「田園都市株式会社」によって開発が進められた地域です。渋沢栄一亡きあとは、その息子の渋沢秀雄、そして現在の東急電鉄に遺志が引き継がれてきました。

良好な住宅地にするために、分譲時には現在でいうところの建築協定が締結され、購入者にはその遵守が求められました。たとえば、下記のような協定が締結されました。

・近隣の迷惑となるような建物を建てないこと
・建物は3階建て以下にすること
・建物は敷地の広さの2分の1以下とすること
・安普請ではなく一定の建築費をかけること

これらは現在に引き継がれています。これによって、バブル期でも乱開発で小さな区画に分割されることなく、高級住宅地のイメージが維持されてきました。

住む人たちの努力によってこそイメージ定着

当時は、東京が発展し都心の過密化が進み、郊外に住宅地が広がりつつありました。関東大震災がそれに拍車をかけたといわれます。しかし、当初は現在のような富裕層が住む場所ではなく、中流階級向けの住宅地でした。それが、整然と開発された住みやすい場所であるため住む人たちがこの地に愛着を持ち、街づくりに不断の努力を重ねてきたのです。

たとえば、田園調布小学校は、自治体所有の土地に住民がお金を出し合って校舎を建て、備品などをそろえたといわれます。また、警察に請願して駅前に交番を出してもらい、ガス会社と交渉してガスを引くなど、自分たちで便利な街をつくりあげてきたそうです。そんな努力が現在につながっているわけで、これからの住宅選びに当たっては、「開発者が街づくりへの志を持っているか」「自治体の取り組みはどうか」「住む人たちの意識はどうか」など、多面的に検討する必要がありそうです。

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